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2015年1月21日 (水)

ここにも神々はおわすのだろうか・・・

Mori_2548_20150119

自宅から車で数分のところに、おそらく昔・・・といっても薪や炭が暮らしの燃料の代表として使われていたころの話ですから、ほんの数十年前の話ですが・・・里山として利用されていたのだろうと思われる森がある。
里山としての利用が減り、人の手が入らなくなった今では、この土地本来の照葉樹の森へと還る途中の姿ではないだろうかと思います。

人気の無い森を歩いていると、ここにも神々がおわすのではないだろうかと思ってしまう。
そんな森の中で目に付いた、木々の姿です。

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年月を重ねた木というものには、なぜか風格を感じてしまいます。
この木も撮っていて、「オイ、人間よまじめにしっかり撮れよ」と、見下ろされている様な気がしてなりませんでした。

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※画像はクリックしていただくと、大きなサイズでご覧いただけます。※ 

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コメント

大木に宿る木の精、神の畏敬の念を感じて撮られたんですね。
森羅万象、私たちの周りには、侵してはいけない領域があると思います。
先日、小さな女の子が、木の根元に空いた穴を覗き込んで、
「出てきて、トトロ」と呼びかけていました。
イナさんの文章を読んで、思わずこのときの光景が思い出されました。

投稿: やまぼうし | 2015年1月22日 (木) 17時12分

やまぼうしさん、こんばんは。

>「出てきて、トトロ」と呼びかけていました。
良いですね、こういう頃に戻りたい・・・
なんて言ったら、笑われますね。
大きな木というのは、そこに生えているという
事だけで、なにかしら大きな力を感じてしまいます。

投稿: イナ | 2015年1月22日 (木) 21時03分

今晩は。

年季が入った樹は、とても味わいがありますね。
じっくり眺めていると、禅の世界に身を置いているようです。

投稿: tama | 2015年1月23日 (金) 21時49分

tamaさん、こんばんは。
自分なんかより、うんと、うんと、歳とった木というのは、
近くに寄るだけで何か不思議なエネルギーを感じてしまいます。
何か無言の圧力のようなものを・・・
今年はこういうものも精力的に撮って行きたいと思っています、
宜しくお願いします。


投稿: イナ | 2015年1月24日 (土) 19時06分

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